2009年4月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

書籍『しあわせマネー塾』

リンク

2008年8月 4日 (月曜日)

ブログ移転のお知らせ

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。

本日、2008年8月4日をもちまして、当ブログは移転いたしました。
それに伴いまして、ブログのURLが変更となりますので、
「お気に入り」や「RSSリーダー」等にご登録の方は、お手数ではございますがご変更いただきますようお願い申し上げます。

新しいURL: http://www.gaitame.com/blog/money/
RSS: http://www.gaitame.com/blog/money/rss.xml
携帯サイト: http://www.gaitame.com/blog/money/mb/

今後とも、当ブログをご愛好賜りますよう、よろしくお願いいたします。

                             外為どっとコム

2008年7月21日 (月曜日)

北京オリンピックの経済効果

7月14日放送分

町全体が秘密基地であった。友達の家の庭を通ると近道があり、墓地の塀を乗り越えると駄菓子屋への近道となった。夏になると朝顔の弦がすだれに絡みつき、狭い道路には水が打たれた。
小さい頃育った谷中にはビルが乱立する銀座や新宿とは違った下町の風景、心の街が残っていた。そして祝日になるとあちこちの玄関には日の丸が掲げられていた。しかし、その日の丸も今や見かけることはない。ちなみに我が家にも置いていない。
日の丸といえば、「明日のジョー」を思い出す。世界タイトルマッチを闘うジョーは警察隊が演奏する君が代を日の丸の下、リングの上で聞いている。その光景を見ていた丹下段平は「かつてジョーを捕まえた警察が、今はジョーのために君が代を演奏している」と感慨深げに涙ぐむ。幼心に、日の丸を背負うということは凄いことなのだ、と感じた。
さて、もうじき北京オリンピックが開幕する。日の丸を背負ったアスリート達が自らの限界に挑戦する。日頃、日の丸を掲げない人も日の丸が一番高いところに上がるのを期待し、応援する。
今回の放送は、北京オリンピックの経済効果について、第一生命経済研究所の永濱さんにいろいろ伺った。北京オリンピックはアテネの4500億円より低くなるそうだ。永濱さんの計算によると3600億円前後だそうだ。経済効果のコア部分である現地への応援が低調だからである。餃子をはじめとした食品の問題そして大気汚染等より現地に行く人が少ない。しかも、時差も1時間であることから自宅でもリアルタイムで観ることができる。ただし、アテネの時のように、日本選手が大活躍すると経済効果は増加する。頑張れ、ニッポン!

2008年7月 9日 (水曜日)

ゲスト:阿部巧也氏

6月30日放送分

いつの頃からか、サッカーが好きになっていた。小さい頃から多くのスポーツを経験してきた男の一つの結論である。彗星の如く現われた一人の天才が世界に連れて行ってくれるわけでもない。はじめから世界で通用するチームレベルでもない。でも、子どもが成長していくかのような過程を実感できたスポーツ、そして徐々にではあるが世界の扉を開いていったスポーツ、それがサッカーである。しかも、選手だけが闘うのではない。背番号12がサポーターに用意されている。つまり、選手と一緒に闘い、選手と一緒に笑い、選手と一緒に泣くことが出来る、同化と言っても過言ではない。初めてサッカー観戦に行った時の、つま先から伝わってきたサポーターの熱き応援、つま先から熱い血が沸き上がってくる感覚は今思い出しても興奮する。
今回のゲストは沖縄のかりゆしFCのキャプテン、阿部巧也選手である。兄の後をおっかけてボールを蹴り、三浦(カズ)選手に憧れてボールを蹴ったそうだ。サッカーが上手になる秘訣の一つはイメージを持つことだと語ってくれた。したがって、小さい頃から本物のプレーを観るということはサッカー上達には欠かせない。そして、サッカーが強くなるには、サッカーをする子どもたちが増えなくてはならない。
実は、かりゆしFCでは、サッカー教室を行なっている。阿部選手たちが見せるプレー、教えるプレーをはしゃぎながら子どもたちは真似てみる。
そこで子どもたちが見せる瞳の輝きは未来への輝きかもしれない。

2008年6月30日 (月曜日)

ゲスト:前川真悟氏

6月23日放送分

背中から回した手は振り落とされないようにしっかりと握り締められていた。昼間の賑わいがまるで蜃気楼のように、今ではひっそりと静まりかえった暗闇の中を私をおぶって走る母。
時々現われるお城の中に入れてもらえず、見たことの無い老婆に哀願しているところで目を覚めた。お城の夢を見るときは体調の良くない時だと経験則が教えてくれていた。熱を測ると案の定39度を越す高熱。母は近所の主治医にすぐに電話をし、私をおぶさり夜の静寂の中に飛び出していったのだ。
その時の母の背中は今でも鮮明に覚えている。あの小さな母の体のどこにこんなエネルギーがあるのだろうか。150センチ近い私の体をおぶって1キロ近くを走っていた。母は強い、そして優しい。
何年か前に野口英世記念館を訪れたことがある。そこには館内を回る私の足を立ち止まらせた1通の手紙がある。それは母から息子、野口英世に宛てた手紙である。野口英世は医者になった後、一時期、放蕩な暮らしをしていたのだが、その息子の目を覚まさせたのが母からの手紙だっただ。偉人の影に母あり、母の慈愛というものは言葉では言い尽くせない、広くそして深いものがある。
さて、今回のゲストは「かりゆし58」という沖縄のロックバンドのリーダー、前川真悟さんをお迎えして、いろいろなお話を伺った。
彼は高校卒業後に沖縄を離れることになった。彼の言葉を借りると「落ちるところまで落ちてしまった」という。でも、彼の心の中には、常に母親への思いがあった。沖縄に戻り、音楽で再起をかけ「アンマー」(お母さんという意味だ)というシングルを発売した。彼は、そのCDを直接母親に渡せず、机の上にそっと置くだけしかできなかった。それから、しばらくして、彼が母親の車を車検に出すために運転したところ、流れてきたのは。リピートがかかりエンドレスに演奏された「アンマー」だった。お母さん、ありがとう…

2008年6月 9日 (月曜日)

モノの値段

6月2日放送分

小さい頃は体が弱かった。今でこそメタボを気にしつつも風邪も引かない体となり心臓まで毛が生えてきているようだが、当時は怪我を含めてかかった病気の多いこと。そういう私の幼い頃の記憶には、必ず天井の模様が出てくる。それだけ布団の中にいた時間が長かったのであろう。水枕はもちろん、額の上には氷嚢が下っていた。そして「大丈夫か」と1日2回、親父の顔が目の前に現われる。
そんな私は6歳の時に1ヶ月以上入院をしたことがある。入院前後の容態は憶えていないのだが、入院する前からかなりの期間寝込んでいたことだけははっきりと記憶している。入院した病院は名古屋市の栄という繁華街に位置する病院である。そして、私がまだ小さかったということから、和室が二間ある広い病室が用意された。そこで家族4人が一ヶ月生活することになる。その年のクリスマスも病院で過ごす。サンタクロースへは「レーシングカーが欲しい」というお願いをしてあった。ただ、自宅ではなく入院している私の所にちゃんとプレゼントが届くかどうか不安であったのだが、ちゃんと届いたところが流石はサンタクロースと妙に感心したものだった。
退院することになった私は、退院祝いに「トランシーバー欲しい」と両親に頼んだ。なぜ欲しかったのかというと、他の病室に入院していた戦友がトランシーバーを持っており、部屋を行き来しなくても、寝床の中から話が出来たからである。
しかし、当時のトランシーバーは高かったと記憶している。デパートの電化製品の売り場に行って子供心にそんな印象が残っている。しかも、他の電化製品、テレビや洗濯機、冷蔵庫などいい値段をしていた。初めて値段というものを意識した時であった。
さて、今週のテーマはモノの値段である。いろいろなモノの値段を取り上げた。駅の自動改札機がおよそ1000万円、四つ角にあるミラーが18万円。パンダのレンタル料は年間1億2000万円…いろいろとある。自分の身の回りにある値段を調べてみるのも面白い。
ふとトランシーバーを見ると入院した頃を思い出してしまうのと同時にトランシーバーの向こうにいる過去と話が出来たらどんなに素敵な事だろうと思ってしまう。

2008年5月21日 (水曜日)

三人乗り自転車

5月19日放送分

「ちょっと待ちなさい!」朝の通学路には決して似つかわしくない声が響いているのだが、どこかで聞いたことのあるような声。ふり返ると学校へ通じるあぜ道の通学路、そこには学校へ急ぐ児童でいっぱいなのだが、まるで大名行列を迎える旅人のように両脇へと子どもたちがどいていく。その先には、なんと母が自転車に乗ってこちらに向かってくるではないか。どうやら、私は忘れ物をしてしまったらしい。当時、福岡で通っていた小学校は子どもの足で40分近くもかかる、それだけ離れていた。忘れ物を取りに容易に家に戻れる距離ではない。忘れ物を受け取った後は、回りに対する恥ずかしさと忘れ物をせずに済んだ安堵感を持って学校へと向かっていった。母親は今来た方向とは逆の方向にペダルを漕ぎ出した。母はどんな気持ちで子どもたちの中を帰っていっているのだろうか。
「おい、早く乗り込め」監督の声にせかされてマイクロバスに乗り込む。接戦ではあったが、悔しい逆転負けである。毎年夏休みに行なわれる市の野球大会に1回戦で負けてしまったのだ。後にも先にもたった一度だけ兄弟でバッテリーを組んだ公式戦であった。私が投げ、弟が受ける。街から離れた野球場での敗戦は帰る足取りも重くする。バスが動き始める。ふと、窓の外に目をやると、父が漕ぐ自転車の荷台に母が乗り、こちらを見ているではないか。こんな遠いところまで僕ら兄弟の試合を見に来てくれたのか、と思うと思わず帽子のツバを深くしてしまった。
なぜか、「自転車」をという言葉を聞くとこの二つの情景が浮かんでくる。自転車は冷たい鉄のパイプで出来たものではあるが、自分には親の愛情がいっぱい乗っているように思えて仕方が無い。
今週のテーマは三人乗り自転車だ。現在はまだ認められていないが、警察庁では現在検討中である。この三人乗り自転車は子どもたちが後ろのカゴに乗る形になる。安全性の高い自転車にするため費用もかかるという。1台数万円になるであろう、と言われている。でも、大事なのは値段ではないような気もする。親子の自転車は愛情が詰まっている。

2008年5月16日 (金曜日)

ゲスト:宇野大介氏

5月12日放送分

低いモーター音がしたかと思うとサイドテーブルの上の携帯電話が震えている。つい先ほどまで楽しんでいた夜の静寂の中での時間旅行から現実に引き戻されてしまった。仕方なく本を置くと携帯を取り上げる。「待てよ」この時間に携帯にメールが入るということは、この時間にメールを送った人がいるということでもある。送信者はどこかで起きているということになる。確かに世の中は便利になった。そして、直截的なことが多くなった。メールもリアルタイムに交信する。携帯電話そのものも直截的である。昔の黒電話は家族全員が使っていた。女の子に家に電話するとなると本人が出てくるまでにいくつもの関所があった。場合によって、関所を通してもらえないこともあった。しかし、今やその関所もない。今やメールに取って変わられたのであろうが「恋文」というものがあった。もちろん恋文を書くような年齢でもなくなったが、その言葉は遠いセピア色の思い出を連れてきてくれる。ラブレターとも違い、どこかに日本人が持っている奥ゆかしさをそこに感じてしまう。
ただ、恋文にしても、メールにしても心と心の交信が行なわれることによって、気持ちが通じ合ってくるから不思議だ。たとえ会わなくても心の交流ができる。これは電話でも同じである。道具は直截的になったが、伝えられるべきものは伝えられている。
さて、一年間、電話だけでお会いしていない人がいた。しかも一週間に一度だけ5分間しゃべるだけである。でも、不思議と心が通った暖かさを感じることの出来た一年であった(相手はどう思っているのかはわからないが)。そのお相手とは三井住友銀行の宇野大介氏だ。宇野さんとはあるラジオ番組で一年間、為替の見通しのインタビューをさせてもらった。根底部分の相場観、歴史観が似ているが故に楽しい会話が出来たと思う。その宇野さんが今週のゲストだ。宇野さんは、覇権国アメリカはその終焉に向けて歩み始めた、と考えている。私も同感である。すぐにこの結論は出ないが、変化というのは変わらないと信じているモノが変わるから変化なのである。
また、宇野さんは中国について興味ある見方を披露してくれた。多くのエコノミストが中国の発展を肯定しているが、宇野さんは懐疑的である。その答えは中国の消費スタイルにあるという。つまり、国、経済というのは徐々に発展していくものである。黒電話から、コードレス電話、大きな移動電話、そして携帯電話へと。しかし、現中国は、いきなりフルスペックを消費している状態である。すでに成熟しているのではないか、という見方である。
マネー塾の放送は20分であるが、心に伝わった20分であった。

2008年4月30日 (水曜日)

コンビニエンスストア

ゴールデンウィークの放送

「押すんじゃねーよ!」「もうちょっと、詰めてくれませんか」「すいません、降ろしてください」電車内でこんな会話が1年のうち一番飛び交うのが4月であろう。4月の車内の人口密度は特別である。新入社員や新入生にとって胸躍らせて迎える新しい季節であるが、通勤ベテラン社会人にとっては憂鬱な1ヶ月となる。なぜ、1ヶ月と言ったのかというと、不思議とゴールデンウィークを過ぎると車内が空いてくるからである。新入社員も1ヶ月経つと会社内でのペースが掴めてくるのであろう。また、大学生ともなると履修登録を終え、1限の授業を避けたり、授業に出なくなったりするからでもあろう。いずれにしても、ゴールデンウィーク前と後では車内の様子がガラリと変わる。
ゴールデンウィークというのは勤労、勤勉の意欲というもの水をさす力を持っているのであろう。正月というのは1年の始まりである。正月休みが終わると「今年も頑張ろう」という気にもなる。お盆前後に取る夏休みも4月からの新年度という時間でみると正月との中間に位置するのと同時に、お墓参りなど血縁というものを意識する精神的な休みでもある。夏休みの前後で格段大きな変化はない。
しかし、ゴールデンウィークは新しい季節を4月に迎えた直後にやってくる。「さあ、頑張るぞ!」と思った瞬間「さあ、休もう」となってしまう。ゴールデンウィークの「Week」は意欲に対する「Weak」なのかもしれない。
さて、今週はコンビニエンスストアを取り上げた。コンビニで異変が起きているからだ。出店の増加数が激減。24時間営業を止めるコンビニも出てきている。コンビニというのは私たちの生活の中にすでに入り込んでおり、生活そのものである。もちろん、飽和状態になりつつあるのもわかるが、私たちの生活自体が変化してきている可能性もある。24時間には防犯の意味もある。暗い夜道にコンビニの灯りがともり、防犯に役立つ。しかし、高齢者が経営するコンビニでの24時間営業は体力的に厳しくなってくる。
私たちの生活の一部になっているコンビニだからこそ、企業はコンビニを利用した新しいコラボレートを考えたりする。そのコンビニ自体も自ら知恵をだし工夫をすることから新しい飛躍の発見があったりもする。また、そういう方向で関係者は不断の努力をしている。コンビニの変化を見ることは世の中の変化を見ることでもある。そうしたコンビニはゴールデンウィークでも休む時間が無い。

2008年4月14日 (月曜日)

4月7日放送分

普段は気にもならないことでも、他人に指摘されると妙に気になるものである。しかも、それが噂にでもなると気になる度合いも自ずと違ってくる。たとえば、「なあ、A子のことどう思う?」とクラスの情報通を自認する友人から聞かれたことがある。普段は気にも留めていないのだが、改めて聞かれると少しばかり襟を正す自分がいるのだが、「明るくていい子だと思うよ」と答えると「お前もそう思っているのか。実はA子もお前のことが気になっているらしいぜ」という顔はまるで欲しいモノを手に入れた時の子どものように輝いている。そういう会話があってからというもの、A子のことが気になっていく自分がそこにいる。それが噂になろうものならいろいろと面倒な事もおきてくる。噂というものは真実ならまだしも、真実と違うと実に始末が悪い。一体、どこで真実が曲がっていくのであろうか。
マーケットという彼女を見つめていると、その仕草が気になってしまう。噂も気になる。しかし、そうした噂も情報源の近くに居ることができればまだしも、ほとんどの投資家は情報源からかなり離れているところにいる。だからこそ、その噂、ニュースの程度や影響度をしっかりと見極めないとならない。安易に噂に翻弄された姿を見せてしまうとマーケットの方が機嫌を損ねてソッポを向いてしまう。したがって、ニュース、新聞など情報の取り方や処理は神経を使うことになる。
7日の放送では、そんな情報の考え方をお話した。今度の放送は4月28日の予定。

2008年4月 3日 (木曜日)

親の仕送り

3月31日放送分

「僕に出来ることは、子どもたちが悔いの残らないように教育のチャンスを与えることだ」と言ったのは30年前の父の言葉だ。父は6人兄弟の長男、家も寺ということもあり、祖父から厳しく育てられた。祖父が父の勉強を見るときには手に角棒をもっており、答えを間違えると容赦なくイガグリ頭にその手が下りてきた。その光景は木魚を打つ姿に似ていたのかもしれない。そんな父は府立ニ中(現・都立上野高校)の出身である。そして、戦前、飛び級制度が出来た時に祖父からの「兄弟が多いので、1年でも早く大学へ行け」という言葉により、受験の準備もすることもなく1年早く大学受験をすることになった。さぞ、慌てたことであろう。大学に合格することはできたのだが、希望する学部に入ることはできなかった。しかも、翌年、1年間受験の準備をしてきたクラスメートが次々と希望する大学、学部に合格していった。そうした友の姿をさぞ複雑な気持ちで眺めていたのであろう。癒されない青春時代の悔しい気持ちからか、冒頭の言葉が私と弟に発せられたのだ。そんな父ももう80歳である。年老いた両親と昔住んでいた街を訪ねるのがこのところの親子三人の旅行になっている。その旅行の帰りに寄ったのが、3月31日のニッポン放送である。
しかも、今週のテーマは親の仕送りが減っている、という話題である。首都圏の私立大に昨年春に入学した「自宅外通学」学生への仕送りが月95900円で過去最低を記録したのである。4月から12月の仕送りを加えた「入学の年にかかる費用」は302万円!これでも減っているそうだ。
しかし、金額は減っているのかもしれないが、親は必死の思いで子どもたちに仕送りをしているはずだ。学生はもう一度、大学で学ぶ4年間をしっかりと考えるべきであろう。充実した4年間に出来るもできないも本人の気持ち次第である。
そんなことをしゃべりながらブースの外に目をやると、脛をかじられた父親が椅子にこしかけ私の方に視線を向けていた。

«春眠暁を覚えず